設計手法などで、どの処理をどこに書けばいいかという議論は、言い換えれば「世界をどのようにに捉えるべきか」ということになるので、これは哲学にほかならない。
そう考えれば、唯一正しい設計手法というのはないことがわかる。
つまり、設計手法に対する主張があったとき、その主張はどちらも「正しい」ので、こちらが正しいかあちらが正しいかという論法での議論は意味がない。
主張というものは、利己的である限り必ず正しい。
と、固めに書いてみる。
要するに、ぼくの主張をひとことであらわすと「メシ食わせろ」ということだ。
つまりおなかがすいている。
追記
なんだか、某所のコメントのつづきみたい。関係なく書いたのに。
某所のつづきだと思って読むと深いことが書いてある風なので、そっちの方が都合いいのかな?