ロジカルシンキングはほんとに論理的なの?

いまさらですが。
というか今まで気にかけてなかったんですが、改めて見てみると、どうみてもこれを論理的というには無理がある気がする。


結果から原因を、原因から結果を考えましょうとはいうけど、それは論理的というものではなくて、因果的というべきものです。
もちろん因果関係をあきらかにさせるというのは重要なことなんだけど、それは論理的以前の問題。
論理的に考える上で大切なのは、因果関係や前提条件が間違っていないのに間違った結論が出るということがないようにすることのはずです。
つまり

鰯は魚だ
魚は泳ぐ
ゆえに鰯は泳ぐ

という推論は正しい推論だけど、

鰯は泳ぐ
魚は泳ぐ
ゆえに鰯は魚だ

という推論は間違った推論で、偶然ただしい結論が出ているだけ。
この間違った推論を使って

ペンギンは泳ぐ
魚は泳ぐ
ゆえにペンギンは魚だ

という結論が出てしまわないように、この推論が論理構造としてどう間違っているか、そういう推論をしてしまわないように考えられるのが論理的思考です。
正しい推論と間違った推論が、論理的にどう違うか考えるのが論理的思考だと思う。
そして、実際にこういった間違った推論はよく目にします。そのときは、もっと込み合った文章の中にこういう間違った推論が含まれているので、なかなか気づきにくいのです。


よくロジカルシンキングの悪い例として「ダメダメな社員」が取り上げられているけど、実際にはそこまでダメダメな人というのはあまりいないはず。
実際には、原因と結果をちゃんと考えていて、それぞれの前提は正しいのに、なぜか間違った結論を出してしまうということのほうが、よく見られるし問題として大きいと思います。
それに、因果関係がはっきりしない意見というのは、間違っていることに気づきやすいのに対して、因果関係が正しいのに論理構造が間違っていて結論が間違っている意見というのは、一見すれば正しいように思えてしまいます。
だから論理的思考というのが重要になるのに、世にあふれているロジカルシンキングには論理的な考え方は忘れ去られているようです。むしろ小手先の手軽に取り入れられるツールを使って、論理的であることから逃げているように思えます。


その論理的思考から逃げるためのひとつのツールが、ゼロベース思考。
ゼロベース思考というのはいいんだけど、ロジカルシンキングの中では、考え方を論理的に説明できない逃げとして、「あ〜っ、じゃあもう全部忘れて最初から!」みたいな感じで書かれています。
論理的であることから逃げてるだけじゃないかと。
ゼロベース思考は悪くない。むしろ気をつけるべきです。でも、論理的思考の枠に入るものではありません。
それに、先入観や過去の事例が現実問題として捨てれるわけはありません。捨てたつもりでも単に否定しているだけだったりします。先入観を捨てているのか否定しているだけなのか、自分での判断は難しい。先入観を否定しているだけなら、それはマイナスベース思考です。


逆に、論理的思考というのであれば、先入観を持ちつつ論理的な推論を行って、最終的な結論として先入観が自然に排除されるようにするべきです。
うまく論理的思考ができれば、間違った先入観であれば自動的に排除されます。
アインシュタインが「神はサイコロを振らない」という先入観で量子力学を否定するために書いた論文は、量子力学を成立させるための重要な論文になっています。
先入観を持ち続けることは論理的であるかどうかには関係がありません。


ロジカルシンキングとして書かれていることが悪いわけではないけど、ロジカルシンキングは論理的な考え方を述べているわけではないのに、ここに書かれた考え方が「論理的思考」だと思うことには問題があると思います。