さて、ぼくたちは「当たりの世界」に住んでいるのかな?

地球上に生命が生まれて人間まで進化して、ここまで文明が発達するためには、数え切れないほどの偶然を乗り越えてくる必要があります。
この偶然がすべて起こる確率は非常に小さく、いまこうやってブログを書いている状態というのは奇跡的であるとも言います。


けれども、起こりうることはすべて起こり、可能性の数だけ世界が分岐していくだけだとする多世界解釈では、そういったたくさんに分岐していく世界のうち、人間が生まれていない方の多数の世界と、今の状態まで進化した唯一のこの世界とが同時に存在しているだけだということになります。
どんなに生命が発生して人間が進化して文明が発達する確率が低くても、ぼくたちが今こうして生きている以上、この世界が「当たり」だということです。


この世界は起こりうる偶然はすべて起こることになっています。ただその偶然が起こった世界に住んでいるか住んでいないかだけです。
さて、ブラジル戦が終わったとき、ぼくたちは「当たりの世界」に住んでいるでしょうか?