可能無限・実無限という言葉は1998年以降に現れたのか

弾さんのブログで、茂木さんの「可能無限」についてのツッコミがあった。

茂木は可能無限を以下のように定義している。

フューチャリスト宣言 p.156
最近のマイブームに、「可能無限」という概念があります。もともと数学用語で、自然数を1、2、3...と数えて行ったときに、どんな大きな数(n)を考えてみても、さらに大きな数(n+1)を、可能性としてどこまでも提示できるということ。可能無限は、「もう一つ増やす余地がある」という意味での「空白」によって常に支えられている。

「茂木センセ、それ、『可算無限(countable infinity)』のtypoでっか?」で片付かない問題が、ここには潜んでいる。

404 Blog Not Found:無限は君が思っているほど大きいとは限らない

で、この茂木さんの可能無限の定義は、ググればたくさん出てくる可能無限の定義と同じなので、茂木さん独自の定義ではないと思える。


なので、その後の文章が何をつっこんでいるのかがよくわからないと思ってたら、トラックバックに「可能無限」という言葉が疑わしいというものがあった。
http://materia.jp/blog/20070627.html#p02


このサイトの論調では、野矢さんの無限論の教室 (講談社現代新書)に書いてある「可能無限」「実無限」という言葉がうさんくさくて、この言葉は、野矢さんの考え出した造語ではないか、ということになってる。
で、その根拠として、「無限論の教室」が出版される1998年9月以前には検索にひっかからないということをあげている。

それならばなぜ、All The Web で、1998年8月31日以前を対象に"可能無限"を検索した結果、
"”\" - Yahoo Search Results
が、0件になるのか? 不自然ではないか?

http://materia.jp/blog/20060512.html#p02

ということなんだけど、1998年というのは、まだ今みたいにWebが盛んではなくて、テレホーダイが使えるとか使えないとか言ってた時代で、まだブログもなく、ホームページの更新は、基本的にHTMLファイルのアップロードで行っていた時代。1998年よりも前に検索がひっかからないのは、まだコンテンツの総量が少なかったからという可能性が高い。
CGIっていうの使えばアクセスカウンターができるらしいとか、PHP/FIというのがいいらしいとか、そんな時代。
しかも、そんな時期にWebを更新していたのは、情報系や物理系、数学系の先生や学生がほとんどで、哲学の先生はWebに触れてなかったんじゃないかと思う。だから、数学や物理、プログラム系の情報はかなりひっかかるとしても、哲学のメジャーな用語がひっかからなくても不思議ではない。「分析哲学」やら「アポケー」やら、哲学の分野でものすごく大切な言葉も1998年8月以前にはひっかからない。
まあ、でも、「実無限」の方は1件ひっかかる。さらに言えば、「可能的無限」なら1件ひっかかる。


ぼくの個人的な意見としては、茂木さんや野矢さんが言ってる「可能無限」は、アリストテレスが言ってる「可能無限」のことだと思います。
アリストテレスは、アキレスと亀の逸話で、「可能無限」と「実無限」について語っています。野矢さんは他の2冊の本でもアキレスと亀を取り上げていたので、少なくとも、野矢さんのいう「可能無限」はアリストテレスの「可能無限」である可能性が高いです。
ああ、でも、ぼくはネットと野矢さんの本でしか「アリストテレスが可能無限って言った」という文章を見てない気がするし、もちろんそのネット上での「アリストテレスが可能無限って言った」という話も野矢さんが本を出版されて以降のものなので、もしかしたら、野矢さんが最初に「アリストテレスが可能無限って言った」と言い出した説も否定できません( ̄∇ ̄)。