なんで勉強したら仕事がなくなるのか

結局のところ、勉強しないとできないようなものの需要がないという話なんだけど、じゃあ、なぜそういうものの需要がないのか。
ソフトウェア会社で、情報工学の学科を出てるか相当の知識が求められるとか、入社試験でアルゴリズムの問題が出るとか、あまり聞いたことない。


ひとつは、お客さん主導だと技術力の必要な仕事になりにくいということ。
お客さんが予算と要求を握っている場合、技術力が必要になるようなものを作るという話にはなりにくくて、オーソドックスな業務システムの仕事が主となる。
機械学習に興味があるという人と話してたら、「よっぽどお客さんに理解があって予算がないとできませんよねー」と言ってた。


で、そもそも、効率よく仕事をしたら、仕事はなくなる。
スーパージャンプというマンガ雑誌に「なっちゃん」という町工場のマンガがある。たまに出てくるエピソードとして、大きい工作会社が「3日かかって200万円!」などと見積もったら「今日中に治してもらわんと困るんや」とお客さん。工作会社の人は「設計部門で図面ひいて製作部門で作ったらそのくらいかかります」と言ってて、お客さんがこまってるところ、なっちゃん登場。なんかひらめいて、「これなら10分でできますやん」とか、そのばで金ノコと溶接機でどうにかしてしまう。
かくして、なっちゃんは、工作会社の設計部門と製作部門の人の仕事をうばったあげく、自らも200万円とかもらうわけもなく、ひとつの仕事が片付いてしまう。
そういえば、なっちゃんは亡き父親をついで町工場をやってるわけだけど、父親がちゃんと仕事をしてて、壊れにくくお客さんが自分でメンテができるものを作ってきたので、あまり仕事がない、というエピソードもあった。


会社が売り上げで成り立ってる以上、そしてその売り上げが工数で計算される以上は、工数がかかったほうがお金になるわけで、そうすると、効率よくすばやく作って手戻りがないよりは、ほどほどにモタモタしながら、ほどほどに手戻りがあるほうが、工数がかさんで売り上げは大きくなる。
大規模はよくなくてなるべく規模を小さくしたほうがいいという話があったけど、同じ仕事なのに売り上げを小さくしたら、会社儲からんよね。


とはいえ、技術の高さを売りにしたり、効率のよさを売りにしているソフトウェア会社もあるわけだから、じゃあどうすればうまくいくのか、それにしてもシリコンバレーとの技術者の評価の違いが大きすぎるんじゃないかとしばらく考えてみる。