どうでもいいことをあたかもなんかすごいことのように語るメソッド

どうでもいいことを、あたかもなんかすごいことのように語る方法を考えてみる。


まず、書きたい「どうでもいいこと」を決めよう。
とりあえずここでは、「明星のインスタント焼きそば作るときにかやくを入れ忘れたのだけど、それってフタの説明が悪いんじゃない?」ということを書くとしよう。ここで、読んでる人に「ようわからんけどなんかすごい」と思わせるために話の主題をずらすのが大切だ。今回は、結論を「UFOのターボ湯切りいいよね」ということにしよう。


本文はこのようになる。

先日明星のインスタント焼きそばを食べた。
ふたの説明を見ながら手順どおりに作ったのだけど、食べる段になって、かやくはあらかじめ入れておかないといけないことに気づいた。これはふたの説明が悪いのではないか。ふたの説明はインスタント焼きそばの味を最終的に決めるものであるから、わかりやすく書くべきである。
UFOのようにかやくをあらかじめめんの底のいれておくのもいいだろう。あのターボ湯切りは、全国から悲しい体験を減らしたと思う。

このように、結論をずらすようにすると、反論があったときにもちょっとずらした再反論がやりやすくなる。おすすめ。「ターボ湯切りによって、慎重さの大切さを学ぶ機会が減った」という反論がついたなら、「いや、これはふたの説明を書くべきだという文章なのである。そこは枝葉末節だ」などとへんな言い逃れが可能だ。


さて、本文を書いたわけだけど、これでは単にどうでもいいことを語っているだけだ。やはり、なんだかすごいことのように語らないといけない。では、どうやってすごいことのように語るか。それも簡単に。
「有名な話題に反論する」
これだ。
ここで、もってくる話題があまりに関係ないことだと、なんだか文章のつながりが悪い。なんとなく関連のありそうなことを持ってくることが重要だ。*1


じゃあ、今回は、日清カップヌードルの謎の肉が変更されることについての意見としよう。
そうすると、先ほどの文章はこうなる。

先日、日清カップヌードルのなぞの肉が変更された。
たしかに変更後の肉のほうがうまい。しかし、カップヌードルといえばあのなぞの肉である。そこにわれわれは愛着をもっているのであり、その肉とともに青春を送りさまざまな体験をしてきたのだ。
企業はユーザーの気持ちを考えないといけない。
たとえば、先日明星のインスタント焼きそばを食べた。
ふたの説明を見ながら手順どおりに作ったのだけど、食べる段になって、かやくはあらかじめ入れておかないといけないことに気づいた。これはふたの説明が悪いのではないか。ふたの説明はインスタント焼きそばの味を最終的に決めるものであるから、わかりやすく書くべきである。
UFOのようにかやくをあらかじめめんの底のいれておくのもいいだろう。あのターボ湯切りは、全国から悲しい体験を減らしたと思う。


だいぶ、なんだかよくわからないけど自信たっぷりな感じの文章ができた。
これで、タイトルを「日清はカップヌードルの謎の肉を返せ」などとしておけば、そのタイトルにつられて読者がやってくることであろう。今回の例だと、ちょっともう話題としては古いが、これをタイムリーにやることはもちろん大切だ。タイムリーなタイトルと書き出しから初めて、結局は自分の書きたいことを書きたいように書く、ということが大切である。
筆者もまだまだ練習中であり、なかなかうまくはできないが、世の中にはこういったことをネイティブにできる人もいるらしい。


さて、これで方法論ができた。このメソッドに名前をつけよう。
「どうでもいいことを(D)」「あたかも(A)」「なんかすごいことのように語る(N)」ということなので、これらを組み立ててこのメソッドの名前を作るといいのだろうが、なかなかいい名前が浮かばない。
これを読んでる方で、なにかいい名前を思いついた人がいれば、コメント欄などに書き込んでいただければ幸いである。

*1:追記:あまりに関係ないことでもつないじゃうのが上級者らしい