「量子コンピュータが確率を素子とするなら、その素子をたくさんまとめた量子コンピュータのふるまい自体も確率的になるんではないだろうか」仮説

(twitterに書いたまとめ)
ちょっと脳内をはきだしますね。


量子コンピュータが確率を素子とするなら、その素子をたくさんまとめた量子コンピュータのふるまい自体も確率的になるんではないだろうか」仮説
でっかい量子コンピュータをつくったら、その量子コンピュータは、答えを出してくれたり出してくれなかったり、いい答えだったり悪い答えだったり、質問したときにさっきの質問の答えを返してきたり、きまぐれなふるまいをするんじゃないだろうか。


で、話は飛躍して、人間の脳みそは量子コンピュータだとする。
量子コンピュータを接続して大きな量子コンピュータを作るときには、その接続で量子効果を壊さないようにしないといけない。量子効果というのは、確率的であるということなので、その接続も確率をもった接続にならないといけない。
量子効果を論理的な電気信号に変換しようとすると、そこで「観測」する必要があるため量子効果は壊れてしまう。


ところで、言葉というのは本質的に確率的である。言語処理のプログラムが確率処理になるのは、データが完全にそろわないとかコンピュータの力が足りないとかが理由ではなく、言葉が本質的に確率的だからだ。
たとえば、ぼくがいま「空が青い」と投稿したとする。「青い」というのはカラーコード#0000ffだとしても、空の色がカラーコード#0000ffになっていることなどありえない。まああったとしても「確率的に」それはマレになる。
ぼくの「空は青い」という投稿を見たとき、「青い」は#0000ffであるとか、ぼくが日本にいるとか、今の時間が昼過ぎだとか、季節が冬だとか、そういった情報を考えながら、だいたい「空は青い」というのはこういうことを言っている可能性が一番たかいんだろうな、と推測する。


つまり、人間を量子コンピュータであるとして、言葉によるやりとりが確率的であるなら、言葉でやりとりをしている人間は、より大きな量子コンピュータを構成できるといえる。
Twitterは、人間が言葉でやりとりをする。そうであれば、量子コンピュータである多数の人間が、確率的な接続である言葉をつかってやりとりをするなら、Twtitterは全体が量子コンピュータであるとみなせる。


(´ー`)< ・・・・というお話でしたとさ。
すっきりした。