アジャイルが手法ではなく思想であるなら、新しい手法が必要

Twitterで「アジャイルは手法ではなく思想」という発言をみました。
投稿者本人の発言ではないようなので、元ネタは不明だけど。
それが正しいとしたら、アジャイルは手法としては成熟して広まるところには広まったってことじゃないかと思います。


ところで、これから、ユーザーインタフェースはHTML on HTTPなWebアプリから、クライアントがブラウザ内で動いてデータをJSON/XML on HTTPな感じでやりとりするものが増えてきそうです。そもそもの端末がキーボード+マウスベースのパソコンから、タブレット端末に変わってもきます。


そして一番大きいのは、これまで当然だったRDBMSから、非RDBMSも選択肢になることです。そしてこれも、データを載せるハードウェアがディスクからシリコンにかわりつつあります。
特に明確な理由はないのですが、これまでの手法というのはRDBMSを暗黙の前提にしてるのではないかと思ったりもします。RDBMSではなくSSD前提なデータベースを積極的に使うようになったときに、大きく考え方を変える必要がでてくるのではないかと。


手法とは体系化されたベストプラクティスであるといえます。
環境が変わって、どのようなものが求められてくるかわからない状況では、ベストプラクティスもありようがなく、つまりこれから必要になる手法は、まだ存在できないということになります。



今後新しいデバイスが普及してアプリケーションの形が定着するのに3年くらいはかかるのではないかと思います。そうして定着したアプリケーションの形が2年くらいかけて普及していきます。
そのとき、最初の3年間でうまくいった人のやりかたが手法として求められることになります。


「すでにアジャイルという考え方が定着した以上、これからの手法もすべてアジャイルである」というのならそれでもかまいません。
それならそれで、アジャイルの上に構築された、新しいレイヤーの新しい手法が必要になるのではないかと思います。