データ構造の選定より重要なもの

この話題、すっかり乗り遅れてしまった。


あえていわせていただく。コードはデータ構造の選定ができるだけはるかにましなのだ、と。バイナリーを使うかどうかなんぞ、その問題と比べれば屁ですらないのだと。


データ構造の選定よりもはるかに重要なもの、それは働く会社の選定。


ここで一歩間違えると、バグが生活化し、データ構造どころかバグにあわせて人生を送らねばならぬ羽目になる。
その最も顕著な例は、知ってたとしても挙げれないので、以下略。

http://blog.livedoor.jp/dankogai/archives/51195101.html

バイナリーとテキストの違いではなく構造化と半構造化の違いか

半構造のメリットをテキストデータのメリットと取り違えて議論しているのか。データ長は可変長にしておけというだけの話ではないよね?。
半構造というのは、厳密な構造化しなくても計算リソース投入しちゃえばいいんじゃない?という話だと思うので、通信プロトコルとか文字コードとか、低レイヤーにはまだ向いてないんじゃないだろうかね?
計算リソースや通信リソースが潤沢になっていけば、どんどん低いレイヤーで半構造データが使えるだろうけど、まだTCP文字コードのレイヤーで半構造データを使えるほどリソースがあるということになっていないんじゃないかと。


半構造データは自由でいいけど、なんでもかんでも半構造にしておけ、と言えるほどデメリットがないわけじゃないよね?
確かに、個人がパソコンで処理するようなデータなら、もう半構造データで計算リソース十分と言えるのだろうけど、それを「全部テキストデータにしておけ」と言ってしまうと、半構造データとして一般的に言われているメリットデメリットに気付きにくい。「半構造」というキーワードを使っておけば、ちょっとググれば半構造のメリットデメリットが出てくるわけだし。


ただ、半構造というキーワードを使ったとしても、デバッグよりもデータを半構造にしておくことが大事、という論法が斜め上を行ってるということには変わりないわけで。
デバッグよりもバランスのとれた食事の方が大事とか、デバッグよりもまともな政治家に投票することの方が大事とか、デバッグよりも諸国家が協調することが大事とか、デバッグよりも大切なことを挙げればキリがない。