掛算順序問題を学校という権威を叩くための棍棒として使う人がいる

掛算順序問題のやりとりや反応を見るときに、掛算順序否定派の人に攻撃的だったり侮蔑的な発言が目立つことが気になっていました。
また、借りてきた論拠をそのまま使ってるんではないかと感じることもあります。
これ、学校という権威を叩く棍棒として使ってる人も結構いるんじゃないだろうか。

こういうことを感じたのは、前のブログに「ルールでの順序はどちらでもいい」とわざわざ見出しにしているにも関わらず、ルールを固定しているのがダメだという論調で反論めいたやりとりがあって、「なんだか話が通じてないな」と思ったのがきっかけです。
書いてることを読んでないというのだけじゃなく、書いてないことへの批判のようなものもあったりします。

そして気になったのが「学習指導要領解説には法的拘束力はない」という、あまり意味のないことが異口同音に持ち出されてることです。
文部科学省の通知で「学習指導要領は大綱的な基準であることから,その記述の意味や解釈などの詳細については,文部科学省が作成・公表する学習指導要領解説において説明」という位置づけがされて「学習指導要領解説を活用して、教職員が学習指導要領についての理解を深められるよう周知・徹底を図ること」のように指示されているので、法的拘束力のある学習指導要領を運用するための強い指針であるので、法的拘束力がなくても無視していい文書ではありません。
そもそも、議論においては何が書かれているかが重要で、法的拘束力の有無はあまり関係ないように思います。

これ、だれかが「学習指導要領解説には法的拘束力はない」ということを言いだして、掛算順序を否定するときの材料として普及してそのまま使われてるんじゃないかと思います。

似たようなものに「数学者も言ってる」と数学者や物理学者を持ち出す人を見かけるというのもあります。
けど、数学者だからといって児童教育に詳しいとは限らないので、あまり意味がないように思います。 議論においては、誰が言ったかより何を言ったかのほうが大事なはずというのもあります。

ネットで目立つダメな例を使って全体を批判するというのも大きな傾向に思います。
そして、実際の教育の現場の人が、どのような必要性があってどのような意図で掛算順序を使っているか、どのように運用するべきであるか、現実的な問題として何があるかを説明しても、聞く耳もたないような反応を目にします。

小学二年生という発達段階の児童への教育は、大人への教育と比べると気をつけないといけない点が違うはずです。そこでは現場にいる人の知見は大事だと思いますが、尊重されずに批判を受けていることも見かけます。
数学者を持ち出す人がいると書きましたが、数学者でも児童教育の現場に立ち会った人、現場経験はなくても児童教育の心理学などを勉強した人というのは少ないと思います。

学校という権威を叩ける材料だとして、掛算順序の話に借り物の論拠で参加している人が議論をかきまぜてる面が結構あるんじゃないかというように思います。