掛算の順序と学習指導要領

あいかわらず掛算の順序の話がもりあがってるようなのだけど、コーディングルールの話なんだから計算の定義の話をしても徒労だよなと思いながら見ていた。
で、ちょっと教育指導要領解説を見てみたのでまとめる。

学習指導要領解説の記述

「【算数編】小学校学習指導要領(平成29年告示)解説」では次のようになっています。順序は表現のときの問題で、計算では交換則を使っていいとなっています。

被乗数と乗数の順序は、「一つ分の大きさの幾つ分かに当たる大きさを求める」という日常生活などの問題の場面を式で表現する場合に大切にすべきことである。一方、乗法の計算の結果を求める場合には、交換法則を必要に応じて活用し、被乗数と乗数を逆にして計算してもよい。

このPDFの115ページ。
https://www.mext.go.jp/content/20211102-mxt_kyoiku02-100002607_04.pdf

ここからたどれます。
小学校学習指導要領解説:文部科学省

表現としての掛算式

数式というのは、左から計算するとか×を先に計算するとかの構文規則をもった言語です。「+より×を先に計算する」というのは乗算の性質ではなく乗算をあらわした式という言語の性質です。そして、言語であるからには人が読み書きするものなので、意図したとおりに伝わるかというのが大事になります。

指導要領解説には次のような文章があります。

「乗法の式から場面や問題をつくるような活動も,乗法についての理解を深め,式を用いる能力を伸ばすために大切」であり、式から場面をつくる際には「被乗数と乗数の順序が,この場面の表現 において本質的な役割を果たしている」ということです。
場面の表現としての式では順序が大切ということですね。

ルールでの順序はどちらでもいい

指導要領解説には「(一つ分の大きさ)×(幾つ分)=(幾つ 分かに当たる大きさ)」のように「一つ分の大きさ」が先に書いてありますが、文部科学省に問い合わせた人によると、これは例であって逆でもいいとのことです。
「表す順序を日本と逆にする言語圏があることに留意する」と書かれていることからも、「一つ分の大きさ」が先というルールに固執してるわけではないことがわかります。

ところで「リレーで4 x 100mと書くじゃないか」というのが頻出反論としてありますが、国際大会に合わせているように思います。つまりこれは順序が固定の例と言えます。

同じ処理に複数の表記があるなら統一したほうがいい

プログラミングのコーディングルールは、同じ実装に複数の表現があるからこそ必要になるわけですね。スペースをいくつ入れてもいいから「字下げのスペースは4つ」のようなルールがあるわけです。
add.list("foo")ではなくlist.add("foo")と書く」なんてコーディングルールはないですね。これはコーディングルールではなく文法です。

掛算も交換則でどちらを先に書いてもいいからこそ、コーディングルールがあったほうが解釈しやすくなるわけですね。分数で分母を上に書くか下に書くかという議論は出てこないわけです。
そして、字下げルールがスペース4つでもスペース8つでもいいように、ルールとしては一つ分の大きさでも幾つ分でもどちらが先でも構いません。

ただ、ある部分では4タブ、ある部分では8タブと混在するのがよくないように、掛け算で場面を表現するときもひとつの文章、ひとつのチームなどまとまった単位では順序を統一したほうが解釈しやすくなります。

気にしないけど統一されている

掛算の順序なんて日頃は気にしないのになんで学校でだけ気にするんだ、という話もあったけど、これは気にしなくても統一されてるからということもできます。
文化というのは、十分に浸透していれば気にする必要がなくなりますね。

「ポイント5倍キャンペーン」で画像検索すると、掛け算記号があるものはほぼすべて「x5」となっています。ひとつだけ「5x」がありました。増やしたいものが前、増やす倍数が後ろという習慣があらわれていると思います。

関係ないけど、広告がはさまってるように見えるな。広告じゃないです。

で、一方で、GPUなどの計算が2倍3倍に速くなったときのオフィシャルでの表記は2xとか3xとかになっていて、英語圏では逆ということがわかります。

この違いは「りんご4つ」「4 apples」という母語の語順に由来してるんじゃないかな。

出題や採点、教育姿勢の問題との混同

たとえば「りんごが5つ載った皿が4枚ある場合にりんごがいくつになるか計算せよ」という問題があるときに「4x5=20」と書いて「順序が違うからバツ~」ってされると「設問は『計算せよ』となってるじゃないか」となるわけですね。 式を書かせるための設問を小学二年生に理解できるように作るのは結構難しいんじゃないかと思いますが、採点基準は設問に含めるべきではないかと思います。
あと、「テストは教えたことの確認なんだから教えたとおりに書くべき」みたいなのは、それはそれで何を教え何を答えさせるべきかということから逃げていて教育姿勢としてよくないですね。

2024/4/9追記 数学者や物理学者の話

数学者や物理学者が実務で使ってないという話が出ますが、数学者や物理学者も、式を書くときになんなりかのルールで順序を決めたり、同じ分野では標準的な記述順序があったりするんじゃないでしょうか。 たとえばxについての多項式ではれば、xは項の最後に書くような文化がありますね。足し算についても次数が高いものを先に書きます。
人に見せる式としてxについての多項式 ax ^ 2 + bx + c を x ^ 2 a+xb+c とは書かないんじゃないでしょうか。
x ^ 2 y + x y ^ 2 = 0 という方程式も、xを求める方程式であれば y x ^ 2 + y ^ 2 x = 0 と書くし、yを求める方程式であれば x y ^ 2 + x ^ 2 y = 0 と書くんじゃないかと。そして、この場合に、掛算の順序はその式が何についての方程式なのかを表すのに重要、のような話になるんじゃないでしょうか。
可換な演算の記述順、結構気にしてるように思います。
ところで、tex記法がきかないのでy ^ 2 xがy ^ (2x)なのか(y ^ 2)xなのか見辛くなってますが、xについての方程式のルールに従えば読みときやすくなりますね。tex記法どうやるんだ。 [tex : y x2+y2 x=0] でいいはずだけど。

2024/4/10追記 学習指導要領解説であることについて

コメントを見ると、学習指導要領解説だから読む気なくす、法的拘束力はない、のようなものがあります。けど、文部科学省が学習指導要領の関連文書として告示しているものはそんなに軽い位置づけではないと思います。また、実作業者がだれであろうが、文部科学省として作成・公表しています。

改訂の際の通知に次のような記述があります。
https://www.mext.go.jp/content/1384661_1_1.pdf

法的拘束力のある決定には時間やコストがかかるので、行政を円滑的に運営するため、法的拘束力はないけど強い強制力のある文書を出すことがあります。わかりやすいところだと行政指導がありますね。
「【通達の意味・種類・法的性質(国民・企業・裁判所への法的拘束力)】 | 企業法務 | 東京・埼玉の理系弁護士」 https://www.mc-law.jp/kigyohomu/21524/

学習指導要領には「何を学ばせるか」が既定されていますが、それだけでは実際に教育の実務を行うことができません。なので「どのように学ばせるか」を学習指導要領解説として出しているのだと思います。どのように学ばせるかは臨機応変に対応できるほうがいいので軽い文書として学習指導要領解説を出していると考えれます。このように、指針を法的拘束力のある文書で規定して、運用を法的拘束力のないガイドラインなどで告示するということはよく見かけます。
上記の通知を見ると「学習指導要領解説を活用して、教職員が学習指導要領についての理解を深められるよう周知・徹底を図ること」のような記述があって、結構強い位置づけであることがわかります。

そもそも、掛算の順序がどのようなものかという議論をするべきで、法的拘束力があるとかないとかはあまり本質的ではないと思います。そして、掛算の順序を文部科学省としてどのようなものと考えているかが、学習指導要領解説に表されているので、この議論では重要な文書だと考えます。

まとめ

表現の問題なのだから、計算の性質の話ばっかりしても収束しないわけですね。
そして、表現のために規則が必要かという話には正しい答えなどはないので、正しい正しくないの話をしてもしょうがないです。適切かどうかではないかと。
たぶん、掛算順序が盛り上がったあとに改訂されていて、学習指導要領解説はよくまとまってると思うので、議論する際は目を通す方がいいと思います。

※追記2024-4-11 なぜ混乱するのかという話も書きました