心臓にココロはあるか?

今日も時間をかけないつもりでソフトウェアに関係ないことを書いてみます。
もうひとつ、気になってた話題。
心臓移植とかで、ドナーの記憶が移ったっていう話。
脳みそっていうのは神経のネットワークの塊で、心臓なんかの内蔵も神経のネットワークで覆われているので、ちょっとした記憶があってもおかしくないっていう話です。
そうは言っても脳みそに比べればちょっとしたネットワークしかないので、ちょっとした記憶しか持てないような気がしますが、ここでプリブラムのホログラフィーモデルっていうのを持ってくると面白いことになります。


ホログラフィーって言うのは、みなさんがたくさんもってる1万円札についてるキラキラ光って角度によって図柄が変わるやつのことです。1万円札のは角度によって10000と日本銀行マークが見えるのですが、立体像が見えるものもあります。で、この立体像が見えるホログラムでは、像の一部が全体に、ホログラムの一部に全体が記録されていて、半分に切っても全体像がぼやけて見えるという性質を持っています。
脳の記憶もそのようなホログラム的に、ひとつの記憶が脳全体に記録されていて、脳の一部が全部の記憶をもっているというのがプリブラムのホログラフィーモデルです。迷路を覚えたネズミの脳みそのどの部分を削っても、ネズミは迷路を忘れないっていう実験があります。実際にはひとつの記憶は一ヶ所に局在するっていう考え方の方が有力で、プリブラムの実験も別の現象で説明できるようなのですが、ホログラフィーモデルの方が説明しやすい現象もあるみたいです。


で、そのホログラフィーモデルで心臓のネットワークまで記憶が広がっていると考えると、心臓にも記憶の全体がぼんやりと記録されていることになります。そこで心臓移植などによって移る記憶もそれなりに広範囲になるというわけです。
ホログラフィーというのは、波によって像を記録するのですが、記憶がホログラム的に全体に広がって記憶されるのなら、記憶も波として記録されているということになります。で、この波は量子力学の重ね合わせの波で、マイクロチューブルの中の量子状態によって保持されているとするのがペンローズの説です。
同じように宇宙のホログラフィーモデルというのもあって、物質を波として考えるときに、その波が宇宙全体に広がっていて、逆に目の前の一部に宇宙全体の物質の波があるという考え方です。
その二つの考えを強引に結びつけると、薬で飛んだりマラソンランナーがランナーズハイになったときなどに自分の姿を遠くから見ていたり、地球を遠くから見たりするという体験が説明可能になるのかなぁと思ったりします。
で、そこから個人個人の波がリンクして、同じ時に同じことを考えるというのが、ユングの集団的無意識ってことにつながるわけです。
いろいろな理論をちょっとずつ曲げてむりやりこじつけると、アヤシイ結論になるということですよ。


参考文献

脳のホログラフィー理論とか、意識のはなしとか。


皇帝の新しい心―コンピュータ・心・物理法則

皇帝の新しい心―コンピュータ・心・物理法則

ペンローズの元ネタ


心の影〈1〉意識をめぐる未知の科学を探る

心の影〈1〉意識をめぐる未知の科学を探る

「皇帝の新しい心」の続編。
2分冊で、(1)の方は計算可能性だとかアルゴリズムの話なので、ここ読んでる人におすすめ、できなくもない。


「心の影」の要約、らしい。