小学生からプログラムを組むのがすごいんじゃなく、そういう人達と大人が対等にやりとりできるのがすごい

中学生プログラマが話題になってる。
原上ソラ――勉強会の再構築を図る気鋭の中学生 (1/2) - ITmedia エンタープライズ


ただ、こういう記事をみて「小学生からプログラムを組む時代になった」とかいう結論になるのはおかしい。
ぼくでも小学校のときにプログラム書いてたし、たぶん、このエントリ見てる人にもそういう人は多いと思う。


いまの時代で特別なのは、こういった小学生・中学生と対等にコミュニケーションできるということだ。そのためには「顔が見えない」というのが大切になると思う。
上記の記事のソラが恐らく初めてHTTPサーバーを書いたときのチャットに居合わせたのだけど、確かSkipGraphの吉田さんだったか誰かが、そのときは小学生だったソラ達にSkipGraphいいよーと紹介してたり。たぶんそのときは小学生だとかいうことには気づいてなくて英語の論文を紹介してたりもしたけど。
こういうふうに、顔が見えないから大人として対等に扱ったり、向こうも顔が見える場合とは比較にならないくらいこちらを対等に扱ったり。
高校生に
「なおき、ざまwwwwww」
などと言われたりするわけです。


今までも小学生のうちからブログを書いたりしてたとは思うのだけど、こうやって吉田さんのようなレベルの人たちと対等にやりとりができるのは、TwitterでゆるくつながりSkypeで密にやりとりするような環境が整ったからこそだと思える。
そこで大切なのは「顔が見えない」もっというと「身体性がない」ということだと思う。
ドレイファスという哲学者が「インターネットについて」という本で、インターネットの限界は身体をもたないことであると書いていたけど、ぼくは身体がないからこそ場所を超え年代を超えたやりとりができるのだと思うし、そこにインターネットの可能性があるのだと思う。

インターネットについて―哲学的考察 (Thinking in action)

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