Google+で実感したコミュニケーションの非対称性

Google+は片思いの関係が手軽に可能ということで、非対称ネットワークだといわれる。
ただ、片思いが可能というのはTwitterもそうなっている。Google+のほうが片思いが気になりにくいとはいうものの。


それよりも、Google+にある非対称として、困ったものがあることに気づいた。それは、サークルのそこに流れるストリームの関係だ。


まずひとつとして、こちらがあちらを入れてるのと同じ種類のサークルに、あちらはこちらを入れてないという問題があげられる。
たとえば、ぼくが尊敬する技術者がいるとして、その人を「技術」サークルに入れる。そして、ある日、その技術者の人にお会いすることができるわけだが、その場はビールのイベントだったとする。そこでビールの話題でもりあがり後日、向こうは「ビール」サークルにぼくを入れてくれたとする。
その尊敬する技術者は、マニアックすぎる技術的な話は、その人の「技術者」サークルにむかってだけ共有しているとする。
かくして、ぼくはその技術者にマニアックな内容を期待しているにもかかわらず、ストリームに流れてくるのはマニアックではない内容だけとなる。


いまの例では、こちらが興味を持っている情報を、あちらはこちらに共有してくれない、という例だった。
まあ、実際問題としては、このような関係はマレだと思う。
それよりも問題になるのは、こちらが興味を持っている情報だけを、あちらはこちらに共有してくれるわけではないということだ。
どのような人も、専門の分野とは別に、食事をし、おもしろいものを見て笑い、かわいいものを見てほっこりしている。
そして、それをみんなに自慢したり共有したいと思う。
かくして、どのサークルも、サークルのテーマにあった共有が少しと、あとは食べ物と一発ネタの動画とイヌネコの画像、話題のニュースだらけになっていく。


要するに、こちらが欲しいと思う情報を、むこうが共有するわけではないということだ。
いくつか話を聞くと、発信側があえて秘密にするということよりも、なにを共有するか試行錯誤した結果そうなってるのがおもしろい。情報を発信する側は、あまりに個人的だったり専門的だったりしてわかる人が少なそうな情報を共有しすぎると申し訳ないと考えて、ある程度無難なことを共有する。でも、こちらはその人なりの情報を得たいと思っているので、物足りないしそれじゃないと思ったりする。
書いてみれば、そんなことは、情報のやりとりのあたりまえの非対称性なのだけども、よくできたサークルのシステムと、さまざまな情報が投稿しやすいシステムが組み合わさることで、その当たり前が顕在化した。


まあ、システムはできあがっててユーザーもいて、あとは使われ方がどういったところに落ち着くかということなのだけど、興味深いなと思った。