「あのときの王子くん」読んだ。「星の王子さま」の新訳。

童話にみせかけた大人むけの風刺本。手に入れやすいし読みやすいし短いので、哲学の入り口としていいかもしれない。

あのときの王子くん(縦書き)

あのときの王子くん(縦書き)

2つ前のエントリでとりあげたシュレティンガーの哲学する猫サン=テグジュペリに興味をもったので読んでみた。


書影があったのでAmazonのリンクを貼ったのだけど、実際には青空文庫で無料で配布されている。
図書カード:あのときの王子くん
と思ったら書影の画像出てないね。


この翻訳は、佐々木健さんというプロの声優さんの朗読をきっかけにはじめられたとのこと。
STORYTELLER BOOK ポッドキャスティング by 心尽: サン=テグジュペリ「あのときの王子くん」
朗読に自由に使っていいようになっているので、ほかにも、恒松あゆみさんのものなど、いろいろ朗読がある。
http://fantajikan.tea-nifty.com/blog/2009/08/1-5d63.html


ちょっと、作品自体とそれぞれの翻訳とをわけて書きたいので、作品自体は原題の「Le Petit Prince」と書くことにする。


ところで「Le Petit Prince」はファンタジーな童話として有名だと思う。でも実際はこれは子供向けの体裁で書かれた大人向けの風刺だ。タイトルを「星の王子さま」にせず「あのときの王子くん」にしたのは、そういった「ファンタジーな童話」というイメージを超えたかったからという面もあるらしい。


Le Petit Prince」を哲学書として紹介されてることもあるけど、どっちかというと哲学の応用かなーと思う。
哲学の考え方があって、このような物語ができているという感じ。
Le Petit Prince」の著者、サン=テグジュペリにどのような哲学の考え方があるのかということに関しては、前のエントリでも挙げたこの文章を読むと、少しわかる気がする。
http://ir.iwate-u.ac.jp/dspace/handle/10140/2453
「愛」の部分には「Le Petit Prince」の解説もある。


あと、「Le Petit Prince」とは関係ないけど「創造」「論理」の項の

創造はまさしく論理が終わるところから始まる。

たとえ論理に説明する力があるとしても、どうして創造することができるだろうか。

矛盾を恐れ常に論理的であろうとする人は、自分のうちにある生命を殺してしまう

といった部分は、興味深い。


翻訳に関しては、たとえばぼくが一番気に入っている部分、花との別れを後悔する部分は、定番となっている内藤濯の訳の「星の王子さま」では

あの花のいうことなんか、とりあげずに、することで品定めしなけりゃあ、いけなかったんだ。

となっているようだ。(「シュレティンガーの哲学する猫」から孫引き)
これが「あのときの王子くん」では

ことばよりも、してくれたことを、見なくちゃいけなかった。

となっていて、シンプルでわかりやすい。


巻末には、この翻訳についてやタイトルについての解説がある。原文が著作権切れの本の翻訳について、いろいろ考えさせられる。
この解説を読んで、「なるほど『あのときの』だなー」と思った。