詭弁にだまされないための「詭弁論理学」

昨日のエントリでは「考えることの科学」を紹介した。
人はどのように考え間違えるか「考えることの科学」で考える


その「考えることの科学」の冒頭で紹介されている「詭弁論理学」もいい本なので、ここで紹介しておきます。
「考えること科学」はどのように考え間違えるかという本だったのだけど、この「詭弁論理学」は、そうやって考え間違った結果、どのような論理が現れるかという本と言っていいと思う。
これを読んで上手に詭弁をつかったりしちゃダメ絶対。

詭弁論理学 (中公新書 (448))

詭弁論理学 (中公新書 (448))


この本は、大きく「強弁術」「詭弁術」と「論理のあそび」の3章に分かれている。このうち、「論理のあそび」は、ふつうの論理の話なので、この本ならでは、というものではない。もちろんこれはこれで面白いんだけど。
やはりこの本のいいところは、間違った論理を「強弁」と「詭弁」に分けて解説しているところにあるので、前2章が大事だと思う。


ここで、「強弁」というのは、論理的筋道ではなく権力や感情で押し通すという話なので、「あるある」とは思うのだけど書名につられて論理学を期待して読んだ身としては、あまりそそられない。
とはいえ、もちろん面白いのだけど。この中では、大きな利点を小さな欠点で相殺、もしくは大きな欠点を小さな利点で相殺させようとする「相殺法」というのが面白かった。「あの政治家は極悪人かもしれないけど毎朝歯をみがくというようないいところもあるかもしれない」みたいな話。


でも、やはり、面白いのは、「詭弁術」の章で、読むことをおすすめしたいのもこの章だ。
中でも、三段論法のうち誤った推論を整理した部分で、たとえば「前提がふたつとも否定文なら結論が正しいとも誤りともいえない」という「否定二前提の虚偽」のような。特に、論理学での「周延」についてわかりやすく解説されているのがありがたかった。この部分だけでも読んだ価値があった。


ただ、出版が1976年と古いので、たとえ話の意味がよくわからなかったり、著者の論理展開自体がちょっと強弁ぎみではないかという部分もあったりする。
それを差し引いてもいい本だと思う。