(Twitterでの発言のまとめです。そのとき思ったものを直で書いているので考察が甘いかもしれませんがご容赦を)
人々がすべての情報についてついったで発言するということは、すべての情報についてついったの発言IDがつくということ、つまりすべての情報について一元管理されたIDが振られるということであるな。
http://twitter.com/kis/status/5416413257
もしかしたら、情報に対するこのアプローチが、Googleがやらなかった、ついったの価値なのかもしれない。
http://twitter.com/kis/status/5416432769
いま存在するすべての情報にIDを振るということには無駄も多いしIDの振り方のルールも難しい。人々が気になったものをついったに発言するという形でIDを振るのなら、IDの振り方のルールは簡単だし、人々が気になったものだけにIDが振られる。
http://twitter.com/kis/status/5416460577
ビールの写真にも起きた時間にも読んだ本にも夕日を見たときの気持ちにも、一元管理されたIDが振られている。
http://twitter.com/kis/status/5416496239
そういってID付けされた情報が、@によってゆるく関連付けされて、オントロジーを構成することになるのか。で、オントロジーつったら存在論で、存在論つったらハイデガー。つながった。
http://twitter.com/kis/status/5416541440
Googleの検索は「在る」としか返さない。Googleで結果が返ってこない検索は「ない」がわかったのではなく、検索に失敗している。Twitterの検索は「ない」がわかる。
http://twitter.com/kis/status/5416609956
http://twitter.com/kis/status/5437677498
http://twitter.com/kis/status/5437624639
Googleでは「いまから飲みにいく人はいますか?」という問いに答えをえられない。Twitterでは、答えがえられる。おそらく同じことを考えたことがある人は多いだろうけど、知識の総体としてのGoogleデータベースとTwitterの違いはここにある。