「メルロ=ポンティ入門」を読んだ

メルロ=ポンティ入門」という本を読んだ。

メルロ=ポンティ入門 (ちくま新書)

メルロ=ポンティ入門 (ちくま新書)


メルロ=ポンティといっても、たぶん、ここを読んでる人にはなじみがないと思う。もちろん、ぼくもメルロ=ポンティという人が何をしたのか知らなかった。そして、この本を読み終わった今もよくわからない。
それはつまり、まったくメルロ=ポンティに「入門」できたと実感できてないということで、そういう意味ではこの本は失敗作だと思う。「あとがき」にも著者自身が書いてるそのままなのだ。

どこまでがメルロ=ポンティの思想で、どこからがわたしの思考かはっきりしなくなってしまうという欠点がある。


とはいえ、この本には、いくつか心に刺さる部分があって、読んだ価値がとても高かった。
そういう部分がおそらくメルロ=ポンティの思想なのだろうから、実際はメルロ=ポンティに入門できてるのかもしれない。


と、なんか最初に落としておいて、あとで持ち上げるという手法はdankogaiみたい。
でもまあ、気にせず続けます。

「すべての情報を入手したいと主張するのは、むしろ決断したくないと主張することに等しい」

この文がとても刺さった。
すべての情報が入手できているのなら、決断するまでもなく合理的に結論が導き出せる。


ちょっと前のことだけども、なにか注文をするかしないかという話になったとき、ぼくはもう少し情報を整理してからという主張をしたのだけど、それではタイミングを逃すからとほかの人が注文をしてしまった。結局、結果をみると、それはそのタイミングで発注するのが一番よかった。
もちろん、その発注がよかったかどうかは結果論で、ぼくはその人が発注したときに、その人には決断ができて、ぼくには決断ができない、ということにはっきりと気づかされたのだった。


それ以来、心にいつもそのことがひっかかっていたのだけど、決断できないということは、つまり情報を得ないと決めれないということだと、この本のおかげで気づくことができた。
今まで、情報を収集して、その情報を分析して、その結果から判断するということをいかにうまくやろうとするかに努力していて、行動を決める場合も足りない情報をいかに得るかということを行って、情報の足りない時点での行動をさけることが多かった。つまり、決断をなるべくしないようにしていたということで、状況がせっぱつまってるときに情報収集に走るというのは決断から逃げてるということだ。


ここの一文だけで、ぼくにはこの本を読む価値があった。

言葉について

あとは簡単にまとめる。
言葉の意味がどうこうという以前に、ことばはしぐさであって、頭をぽりぽりかいたりすることの延長線である、ということらしい。ただ、ことばには、ことば同士の差異が特に問題になって、そのことばとことばの差異が意味になる、という話が書いてあった気がする。
また気になったら読み返すつもり。

ヒーローについて

ひとつおもしろいことが書いてあった。ヒーローの資質がない人がヒーローの立場になったときの行動について。

そのような人がいた日には、その出来事に巻き込まれたすべての人たちに、とんでもなく迷惑なことが生じるだろう。

周囲の人が賞賛しそうな行動をとることばかりに汲々としていたり

重大な目的や安全の確保に向けての周到な準備を怠り、またそれへの絶好のタイミングを見失い、最悪に近い結果を引き起こすのである。

ってこれ、最近よくいろいろな記事に出てる、どこかの国の首相の行動そのままなんですけども。

まとめ

いくつか著者のエピソードが載ってるのだけど、ちょっとショッキングなのもあったりして、無用に気が滅入ってしまうのは、この本の欠点だと思った。
ただ、ここにあげたほかにも、時間についてとか、いろいろ示唆に富むことが書いてあるので、興味のある人は読んでみるといいと思う。
ただし、それなりに哲学のことばに慣れてる必要はある気がする。まあ、そのあたりの言葉遣いは、そういうものだとして読めばいいのかも。