自動車レースにおけるライン取りが本質的でないことをプログラムで説明するテスト

月刊マガジンを読んでたら、「Capeta」が次回で最終回だと書いてありました。
Capeta」は、フォーミュラカーレースでF1を目指すマンガで、これ実際にレース走らないとわからないよなーという細かい表現がたくさんあってすごい。(と思わせる描写になっている)
おそらく、もう、こういうレースマンガはもう出てこないんじゃないかと思わせられます。それが終わってしまうので、結構さびしい。


レースマンガというのは、スポーツマンガの中でも主人公ブーストが効きにくいカテゴリで、いくら主人公が叫ぼうがわめこうが、車は速くなりません。
そうすると、安易にやろうとすると「頼む、タイヤよもってくれー」みたいに、タイヤがすべらないことをお願いしてみたらタイヤががんばって勝てちゃったみたいな話になります。ただ、レース全体でタイヤを100%使い切るドライバーが速いわけで、レース途中でそうやって無理をしたのであればその後が苦しくなるし、レースの最後の最後にタイヤにお願いしちゃうようなドライバーはタイヤマネジメントができてないということになるので、タイヤに無理をさせて勝つのであれば、ちゃんと1レースとおしてそこで無理をしても勝てるような積み重ねや根拠が必要になります。「Capeta」はそこがかなりしっかりしていて、逆に「タイヤにお願いすれば勝てるほどレースは甘くないぞ」という描写になっています。


まあ、それでもやはり主人公が他と違う能力をもって勝っていかないとスポーツマンガとしてのカタルシスがないわけで、なんらかの能力が欲しいわけですが、ここでよくレースマンガで主人公に与えられるのは、ブレーキングのうまさです。つまり、他の人より遅くブレーキを踏んでもコーナーで十分に減速ができている能力、ということです。そうすると速く走れるということになるわけですが、「Capeta」ではこれはライバル「ナオミ」の能力ということになっています。
では主人公「カペタ」にはどんな能力が与えられたのかという話になりますが、「Capeta」では車の情報を受け取っていたわる能力というのが与えられています。地味ですね。改めて文章として書いてみると、かなり地味です。まあ、プレーキングというのは、要するに減速方向の加速度が大きいということなので、動きが派手になってライバル向きの能力だし、車をいたわるというのはいかにも主人公っぽい能力です。なのですが、この能力を使ってレースに勝つ、それも連載全体にわたって、というのはかなり難しいです。地味だし。
それでも、路面フィードバックを受け取って最適な走りをしたり、車のセッティングに活かしたりして、レースに勝っていくわけで、よく作者はここまでやってきたなーという感じです。そして、そうやって地味な能力の積み重ねで勝っていくところに、この「Capeta」のよさがあるわけです。


ここでタイトルの話になるわけですが、レースと言ったらライン取りがどうこうという話になったりしますよね。では「ライン取りがうまい」という能力を与えるとどうなのか、と考えてみます。つまり、ブレーキもあまりうまくないし、アクセルの踏み方もうまくないし、タイヤマネジメントもそんなうまくないんだけど、ライン取りがうまい、というキャラクタです。
ここで、やはり、何それ?ってなっちゃうわけです。
プログラムにたとえるなら、無駄な処理あるしメモリの持ち方にも無駄があるしちょっとバグあるけどキレイなコード書くよね、っていう感じですね。いやそのキレイさに意味あるの?という感じです。それ、ただ行儀がいいだけじゃん、という話で、まあ主人公の能力じゃないよねとなります。


無駄な処理のなさ、メモリ効率のよさ、不具合のなさなどが合わさって、結果としてキレイなコードになるわけで、そういうのナシのキレイなコードというのはありえません。
同様に、自動車レースのライン取りというのは、最終的にアクセルをいっぱい踏みたいというのがあって、ではコーナー出口のこの位置ではアクセルを踏みたい、そうするとここまでに向きを変えておきたい、それならここまでにブレーキを終わらせたい、そうするとここからブレーキを踏まないといけない、それらをトータルすると結果としてこういうラインを通る必要がある、という風に、結果としてライン取りができるわけです。
プログラムのきれいさというのが、他の付随する要素から結果として導かれてくるものであるのと同様に、レースのライン取りというのも、他の要素から結果として導かれるものであって、本質的なものではないのです。


ようするに何がいいたいかというと、Capetaおもしろいよねーいいマンガだよねーってことです。

capeta(31) (KCデラックス)

capeta(31) (KCデラックス)