例えば非論理的な処理ができるコンピュータができたとしたら

プログラムの自動化ができないというのは、コンピュータが論理的な処理しかできないという前提に基づいていました。
だとしたら、非論理的な処理ができるコンピュータが実現したとしたらどうでしょうか?
論理的なコンピュータではないものは、具体的には量子コンピュータです。
量子コンピュータは重ね合わせの状態を扱うことができるので、非論理的な処理を行うことが出来るはずです。
その量子コンピュータが実現したとしたら。そうすると、非論理的なものから論理的なものへの変換が自動的に行えそうです。


では、量子コンピュータでそういった処理を行うために必要な作業を考えてみます。
非論理的な、重ね合わせの状態を持った情報を量子コンピュータで扱えるようにするためには、情報をドンドン重ね合わせていくひつようがあります。
ここで、論理的なコンピュータの場合と違うのは、重ね合わせの情報はコピーができないということです。重ね合わせの状態は、観測すると壊れてしまうという性質があります。そのため、コピーをするための観測ができないのです。
そうすると、1台の量子コンピュータに重ね合わせの状態を実現して、あとはそれをコピーするだけという具合にはなりません。
また、プログラムの自動化が目的なので、広範囲な「社会常識」を重ね合わせの情報として登録していく必要があります。が、ここで、厳密に同じ手順で情報を与えたとしても、情報の重なりかたが変わってしまうという性質が問題になります。そうすると、同じ手順で情報をあたえたとしても、意図する状態を再現できる可能性は低くなります。状態の重なり方を判断しつつ、適切な情報を与えていく必要があります。
状態の重ね合わせを実現するために、1台1台の量子コンピュータを、時間をかけて「教育」する必要があるのです。
「教育」の自動化はできません。


また、そうやって「非論理的」な処理が行えるようになったとすると、今度はもうひとつの問題が発生します。
この「非論理的」な処理が行える量子コンピュータは、「作業の意味」や、「存在価値」などといった「非論理的」なことも考え出してしまいます。
そうすると、ある処理を行わせるためには「作業の意味」などという「非論理的」な情報をあたえてやる必要があります。また「存在価値」などという「非論理的」な情報を認識させてやる必要もあるかもしれません。
要するに、「モチベーション」を与えてやる必要があるわけです。


そして、そういう苦労をしてプログラムを自動生成したとしても、「プログラムの出来」という「非論理的」な指標はあまり高くない可能性があります。
最も優秀な量子コンピュータでも、あまり出来のよくない人間のプログラマにも劣るプログラムしかできない可能性が高いのです。
これは「社会的な実体験」という「非論理的」な情報を与えることができないからです。


適切な教育を行ってモチベーションを与え、出来のいいとはいえないプログラムを生産するという世間知らずな量子コンピュータでのプログラム生成を、「自動生成」といえるでしょうか?