誰かが亡くなった

朝。
訃報を聞いたという人がいた。
それが確かかどうかもわからない。
だれかもぼくにはわからない。
ただ、訃報があったと知った。
気になった。


昼。
数日前に会った友達が亡くなった、と嘆いてる人がいた。
その人は知り合いも多いだろうし、ぼくと興味の範囲も違っているので、あまり面識がない人なのだろうと思った。
少し年下の人が、年も近いのにと嘆いていた。やはり、あまり知らない人かなと思った。
それでも、気になった。


夕方。
福岡の人が、また来ると言ってたのに、と嘆いてた。
お会いしたかったと言っている人もいた。
案外、知っている人なのかもしれないと思った。


夜。
亡くなった人の名前を聞いた。
知ってる人だった。@akhkさん。
Twitterでは、初期から知っていた。やりとりしたこともある。
実際に会って話したこともあった。ただ、会話がはずんだわけでもなく、単に社交辞令的な挨拶だった。
構築したサービスがうまくいったような話がネットニュースに流れていた。


そういう人が亡くなったという。
ただ、びっくりした。
その意味で、ショックだった。


喪に服すほどの交流もなく、悲しむほどの面識もなく、それでいて日常の出来事として流すことはできないつながりがある。
アイコンを見ると、涙も出てくる。
悲しむでもなく、沈むでもなく、ただ、淡々と、時間をすごす。
次に会ったときは、もう少し楽しく会話ができたらいいな、と、そう思ったことだけ、思い出す。


※2012/11/14追記 おなまえ明記しました。